息子「日曜に大会あるからお弁当よろしくー」
私 「おけ!応援は?」
息子「個人戦はきて!俺のカットサーブみてほしい」
軟式テニス部に入ってから1年。
ちょうど昨年の今ごろ、本人から入部先を聞いたときは
(てっきり小学校から習っていた野球を続けるのかと思っていたので)
予想外の路線変更に私のほうが不安になった。
「(卒業までの)3年間続けられる?」
そう問いかけてしまった自分に
前にも感じたことのある違和感がよみがえる。
今まで入った習い事を振り返ると
卒業まで続いたものもあれば、途中でやめたものもあった。
やめた理由はさまざまだけど
宿題や他の習い事との両立が厳しいという物理的なものもあれば
「人間関係による我慢の限界」もあった。
その場合の寄り添い方がいちばん難しく
よほどの陰湿さ理不尽さがない限り
「通うのは本人だから意思を尊重したい」きもちと
「自分で決めたことは最後までやり遂げてほしい」思いが何度も交錯…
いや、本音を言えば彼にかける言葉の中に
後者が端々に出ていたと思う。
これまでそういう場面に何度か直面してきても
「最終的に本人が考えて結論を出せる」よう促すのは
いまだに苦手だ。
だけど息子が今後、自分の選んだ部活で何か悩みがあれば
「つらかったね」「話してくれてよかった」と
寄り添う姿勢は忘れないようにしたいし
【お母さんなら何をボーダーラインに判断して】
【どう行動に移すか】
を伝えていく中で、自分なりの答えを出してほしいなと願っている。
先日の大会でもっていったお弁当。
「試合中にトイレに行きたくなるのが怖い」という本人の意向で
いつも食べる量の3分の1、軽食程度に用意している。
応援に行くとその緊張がダイレクトに伝わるものの
その割には対戦相手もまだ分からないうちから
「俺らのペアは3回戦まで絶対進むから!」と
自信に満ち溢れるところがまだ中学生。
単純で可愛く、そして自分にはないその性格が羨ましかったりもするのだ。
※今週のお題「お弁当」